「エシカル消費」という言葉を聞いたことはありますか?
エシカルとは、英語Ethical(倫理的、道徳的)の日本語ですが、公正で持続可能な未来をつくるために、今や消費者にも生産者にも欠かせない視点となっています。消費者庁でも、平成27年度から消費者庁長官のもとに「倫理的(エシカル)消費調査研究会」を設置し、筆者もそのメンバーとして議論に参加しています。
「エシカル消費」とはいったい何なのでしょうか?
消費者庁のホームページでは、倫理的(エシカル)消費を「より良い社会に向けた、人や社会・環境に配慮した消費行動」と定義しています。すなわち、地球全体の諸課題を、一人ひとりの消費行動を通じて解決に導いていこうとする動きのことです。自分や家族など身近な人の幸せはもちろんですが、社会全体の幸せを考えて行動できる人が増えていく取り組みだと考えると、とても素敵なことだと思いませんか?
静岡県消費者教育ポータルサイトの「消費者市民社会」を説明するページには、フェアトレードやグリーンコンシューマー等の事例が登場します。これらは児童労働や環境問題という地球全体の課題を解決する方法として普及しているものです。「エシカル消費」はこれらを包括する考え方であり、「エシカル消費」を通じて消費者市民社会がつくられると考えることができます。
なぜ今、「エシカル消費」なのでしょうか?
ことさら「エシカル」などと言わなくても、日本には近江商人の「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)の考え方がありました。しかし、その当時では考えられない程、現在では生産現場と消費者の距離が遠くなっています。その結果、生産者(動物も含む)が犠牲になっていたとしても、消費者は知らされないまま安いものを求めて、大量消費という名の自動運転装置のついた車に乗ってハイウェイを進んでいるかのような状況に陥りました。
また、行き過ぎた大量生産・大量消費の車に乗った私たちは、企業戦略によって新たなニーズを喚起され、その結果、必要でないものを買ったり、まだ使えるものをゴミにしたりといった行為が繰り返されるようになりました。日本には「もったいない」という言葉があったにもかかわらずです。
今、「エシカル消費」の動きが日本で見られるようになったのは、「誰かの犠牲によってつくられたものは欲しくない」「限られた資源を無駄にしたくない」といった、もともと人間として持っている本能が目覚めた結果なのだと思います。これは生き方やライフスタイルの問題です。
特に、東日本大震災以降、買い物によって被災地を応援する「応援消費」や、社会的責任を果たしている企業に投資をする「社会的責任投資」など、お金の使い方によって社会を良い方向に変えていこうという考えが広がってきました。これまでの価値観を見直し、本当に大切なことは何かという問いに対する一つの答えとして、「エシカル」な考え方が受け入れられているように思えます。
「エシカル消費」の今後の可能性は?
この動きは、国連の持続可能な消費と生産10年計画枠組み(10YFP)や、持続可能な開発目標(SDGs)などの動きによって、一層重要性を増しています。
地球規模の課題を解決する方法は一つではありませんが、「エシカル消費」が注目されるのは、私たちの日々の生活の中で、誰もが実践できるという優位性を持っていることが大きいでしょう。また、一人ひとりの力は小さくても、まとまれば大きな可能性を秘めていることも、やはり注目される理由だと思います。
この動きは今後、生産者と消費者が車の両輪となって進めていかなければ成功しません。生産者が先か、消費者が先か、という議論はあるかと思いますが、国際競争の中で生産者を一律に規制することは困難なため、消費者の行動で生産のあり方を変えていこうというのが、この動きの本質だと思います。これから展開していく消費者市民社会実現に向けた消費者教育においては、「消費者の行動によって社会を変える」ことを考える題材として、「エシカル消費」は最適なのです。